裏通りを入った所にある映画館で、趣味の悪いネオンがチカチカしているビルに入っている。
上映は小さなスクリーンで、6列しか席がないくらい。
6列目の真ん中に陣取って待ってみたが、私一人だけ。
こりゃ、いいわ。独り占め♪るるるん♪
と思っていたけれど、いよいよ予告編が始まるぞってぐらいに、中年のおじさんが入ってきた。
でも、いいの、そのおじさんは隅っこのほうに座ったし。
舞台は竹富島。
澄んだブルーのようなグリーンのような海と白いさらさらとした砂。
私は沖縄に行ったことがない(ましてや竹富島だなんて!)から、本物を見たことがない。
この自然を前にしたら、私たちが持っている価値観(地位とか名誉とかお金とか)っていうのは、何の価値も持たなくなってしまうような気がする。
あんな所で生まれ育ったら、どんな人間になるんだろう。
本土(沖縄生まれの先輩は、本州のことをそう呼んでた)に住む私たちは、もしかしたら余計なものに囲まれすぎているのかもしれない。
映像が、暖かくて、何か手触りがするような感じだった。
ざらざら。
それは違和感のあるものではなくて、心地よい肌触り。
ツルツルとした金属とは対照的な、ぬくもりがある土のような、そんな感じ。
蒼井優演ずる風希の「~さ」という沖縄独特の方言と「ありがとね」というイントネーションが心地よかった。
私もこっちにきて、訛りが入ってきたけれど、その地方に活きる言葉というのは、人を優しい気持ちにさせるのだと思う。
ニライカナイからくる手紙は、愛情と優しさで溢れていて、思わず私が学生時代に母からもらった手紙を思い起こさせた。
母からの手紙というのは、いつでも暖かいのだと思う。
ありきたりな言葉を並べるようだけど、母が子供を愛する気持ちというのは、誰でも同じなのだと思う。
子供を想い、子供の将来を想い、幸せに生きて欲しいと願う。
そういう母の気持ちの存在が、私には当たりすぎて見えていない。
母に感謝の気持ちはあるけれど、母が私をどれだけ想っているのか、それはあまり意識することがないもの。
空気を吸っていることが当たり前すぎて意識することがあまりないように、幸せ者の私は母からの愛情っていうものが当たり前すぎて意識することがあまりなかった。
母が私を愛する気持ちは、きっと風希のおっかあと同じなのだ。
そう思ったら、涙がぽろぽろ止まらなくて、いつのまにかしゃくり上げていて、それを我慢すればするほど、ひっくひっく言ってしまい、それが二人しかいない映画館の中で明らかに響いていて恥ずかしかった。
泣きながら、母に思わず電話をしたくなって、映画が終わったらすぐに電話しようかと思った。
でも、泣いている自分が電話するのは気が引けるし、そして電話したからと言って母に何て言おうと考えあぐねてしまい、結局携帯を手にする勇気は出なかった。
映画館で号泣というのは初めてで、自分でも戸惑った。
終わってドアを開けようとしたら暗幕に引っかかってアワアワしてしまうし、トイレで自分の顔みたら、散々涙を流した顔してるし。
目が赤くなった顔が恥ずかしくて、そそくさと映画館を出たけれど、泣き疲れて頭がふらふらした。
駅までの距離はやはり長いけれど、その道のりは、ふらふらの頭で酔っ払ったかのよう。
気持ちよく歩いていたら、車に乗ったあんちゃんにナンパされ、この浮世はなんて俗っぽいのだろうかと若干腹が立った。
でも、お月様が真ん丸で萩の月みたいだったから、そんなことも許し、今度母にお手紙でも書こうかなと思いながら家路を急いだわけでした。


今年の夏はアバンチュールできたかい?
にいちゃんにナンパされてる場合ではないぞ!
母に感謝したいために、私は1人暮らしをしたいくらいです。
母は水空気のような存在になりつつ申し訳ないなあと思います。親孝行しないとね。
>rieoさん
こんにちは。アモーレ、カンターレ、マンジャーレを人生のモットーにしているmayuzoです。
カンターレとマンジャーレは多いにエンジョイしてるんですが、アモーレには恵まれず。。。
ええ、アバンチュールはございません(泣)
手芸部会長の作るお洋服、可愛いですね。
それを着ているrieoさんは、素敵です。
仲良しそうで、それこそ親孝行なんだろうなあ。