停電の夜に

4102142118停電の夜に
ジュンパ ラヒリ Jhumpa Lahiri 小川 高義

新潮社 2003-02
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本屋さんに行くことが好き。
小さい頃から図書館とか本屋さんとか、本に囲まれる場所が好きだった。
本が並んでいるのを見るとワクワクする。

でも、最近の私は、本を選ぶ基準がいたって保守的だ。
好きな作家の作品しか触手が動かされないし、新しい作家を開拓しようとしない。
なかなかピンとくるものがないから。
もしくは冒険心がなくなったのか、それとも柔軟性がなくなったのか。

たまたま入った小さな本屋さん。
古い昔ながらの書棚に入った本や二階に上がる狭い階段。
その本屋さんはすごく懐かしい感じがした。

個人経営の本屋さんに入るってことが最近めっぽう少なくなった。
大きな書店の方がそのときの流行というか、何が今読まれているのかとか、そういう空気がよく分かるし、品揃えがいいから。
品揃えに期待しないで入ったその小さな本屋さんは、量は少ないにしろ、その品揃えが自分好みで「あら」って思った。

ぐるっと本棚を回って、そのタイトルに惹かれてこの本を手にとってカウンターに持っていった。
店主のような人が
「何かお探しでした?」
と私に聞いた。
「いえ、特に探していたわけではないんですが」
と本を渡すと
「この本素敵ですよ」
と言った。

いかにも本が好きそうな店員さん。

自分が読もうと思って手にした本を素敵な本だと言われたことも嬉しかったけれど、そうやって自ら本を読んでお客さんに口頭で薦める店員さんって初めてで、その人の内面を少し垣間見たような気がして嬉しかった。

機械的にレジを打って、カバーをして本を渡すだけというのが普通の本屋さんでお決まりの光景。
そんな日常には互いの主観は入る余地もなくて、本はただの商品、物でしかない。

でも、「素敵ですよ」と言われたその言葉の裏には、その店主がその本を読んで何か心を動かされたという事実がある。
それがすごく嬉しかった。
他の人がこの本を読んで良かったと思ったという事実。

それが嬉しい。

久しぶりにピンと来たものが素敵な本であるということは「当たり」だ。
本を選ぶことはくじを引くようなものだと思う。

本ごときと言ったらそれまでなのかもしれないけれど、あまり好きになれない本を読んだときは「はあ」とため息をつきたくなる。
面白いとも何も思わずにただ読んだという事実だけが残るだけの本。
そういうのは「消費」という言葉がよく似合う。
そんな本が多い中で自分が好きだと思える本に出会えることは稀有だと思う(そもそも大量に本を読んでいるわけでもないが。。。)。

作者はこの作品でピュリツァー賞を受賞したらしい。
正直なところ、賞を取ったか取らないかっていうのは、私には関係ないけれど。

でも、賞を受賞した理由、それが少し分かる気がする。

とてつもない事件や悲劇があるわけでもなく、日常を切り取っただけなのだけれど、リアリティがある。
普段私達が感じ、そしてすぐに忘れてしまう取り止めのない悲しみや喜び。
そういったものが現実味を帯びて、そして細やかに書かれてある。

表題の「停電の夜に」もいいけれど、私は「セクシー」が好き。
「三度目で最後の大陸」も読後感が素敵。

そういえば、この作者は、インド人のようだ。
だから、作品の中にインドのかおりがする。
カレーを作るための豆の下ごしらえができないっていうのは、きっと日本で言うとおだしを取れないっていうのと同じ感じなんだろうな。
アメリカ文学を読んでいても、日本にはアメリカの文化は馴染みがあるから、さして気になることってないんだけれど、インド文化っていうのはどうも馴染みがないせいか、不思議な感じがする。
頭にココナッツ油を塗るとか。
だから、異文化を感じられて不思議な感じ。

インド文学がこれからアツイかも。

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このページは、が2006年4月 9日 20:45に書いたブログ記事です。

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