言葉

言葉は人ををふるいにかけるフィルターのように思う。

「ふるいにかける」という言葉、考え方はちょっと下品かな。悪いものを振り落とすみたいな言い方で。
そういうのではなく、う~ん、うまくいえないけれど、選択されるという意味で「ふるいにかける」。

例えば、私が書く言葉が好きじゃない人は私の戯言なんて読まないのだと思う。

いろんなblogがあって、きゃぴきゃぴしている女子のblogはやっぱりきゃぴきゃぴしている女子が読んでいるように。
(いや、私も一応きゃぴきゃぴしているつもりなんだが。。。うそ。あまりしてないかも。。。。)

それは、face to faceの関係と同じかもしれない。
類は友を呼ぶって言うじゃない?
人は空気というものがあると思う。
雰囲気。
その人がもつ波長が自分にとって心地よいものかどうか。
それが友達になるきっかけでもあるし、そのまま友達でいたいと思われるひとつの理由のような気がする。
空気が一緒な人たちが集まったりする。

そういった空気は、やっぱり文章にも表れると思う。
視覚的な余計な情報がない分、こういう場所では言葉に敏感になる。
言葉から空気を感じる。
その人の思考があるから、その人の言葉が生まれる。
その人の内面が、言葉に表れる。
言葉にその人自身が映る。
言葉によって、その人という人間を判断する。
そして、その人の言葉に触れていたいか、それとも触れたいとさえ思わないか。
だから、言葉は人をふるいにかけるフィルターのようだと思うのだ。

私の言葉が好きだと思う人は私の文章を読むのだろうし、私の言葉に興味がない人は読まない。

ほそぼそ、ぼそぼそと「今」の自分の感性を書いていきたいという思いがあって、ちんまりやってるblog。
でも、ときどき書くことが怖いと思うことがある。
こうやって私の顔も話し方も見えない場所で書く言葉というのは、私自身そのもののようなものだ。
私が選ぶ言葉、こうやって頭に浮かんでくる言葉というのは、私という人間を丸裸にし、晒してるようなものだと思う。
美輪さんも「己れの言葉が自分の全人格のストリップだ」と言っているし。
だから、恥ずかしいとか思ってしまうこともあるのだけれど。。。

でも、文章を書くのは好きだ。
自分と向き合えるから。
自分が何を思っているのか。
言葉にすることによって、言葉にしようとして考えることによって、自分の中の"何か"がクリアになるから。
逆にクリアにならないで、こんがらがることもしばしあるけれど。。。。

先週末、学生時代の先輩に「まゆ蔵の文章が好き」と言われて、嬉しかった。
ときどきはっとさせられる。
こういう表現をするのか、と思う。
そんな風に言われて、正直照れた。
本当に拙い私の文章を、本当にしがない私の感性を、そうやって言っていただけるのはありがたい。

mixiの私もココの私も、それぞれ書き分けてはいけるけれど、どっちも私。
そういう私の言葉を読んで、好きだといってもらえるのは、大きな味方がいるようだ。
仲間から、友人から自分と言う人間を認めてもらえること、受け入れてもらえることは何よりも嬉しい。

だから、というわけじゃないけれど、私は少しでも私という人間を知ってもらえたらという小さな希望を持って、こうやってblogを書いているのかもしれない。
まあ、概ねは自分の「今」の感性をどこかに留めておきたいからこうやってblogをやっているんだろうけれど。

私の「言葉」。
まったく私のことを知らない人が、私の「言葉」を読んだら、私という人間はどんな人間だと思われるんだろう?
魅力的だ、そんな風に思ってもらえる私であったらいいなあと思う。
素敵な言葉を紡げるそんな人間になりたい、そう今の私は思うのです。

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このページは、が2007年3月 2日 23:32に書いたブログ記事です。

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