昨日は、お茶のI先生のお宅にお邪魔した。
お雛さま。
そういうわけで、謡曲のW先生もおよびし、お食事。
I先生は今年で98歳になられる。
いつも着物を召して凛としていて、たおやかで素敵だ。
H子さんの手料理が並んだ。
春野菜の煮しめ、お寿司、シュウマイ・・・・etc・・・。
その席でI先生がW先生に言った。
「以前、○○さんに『もう女を捨てたんべ』と言われたの。もしそのとき卒塔婆小町を知っていたら「心の花のまだ有れば」と言えたんだけど。」と。
「『心の花』は消えることはありません」
とも。
W先生も言った。
「女性はいくつになっても『心の花』があります」
と。
シモーヌ・ド・ボーヴォワールは言った。
「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」
と。
正確にはジェンダーを意味するけれど、私たちは思春期になると自覚する。
「私は女」と。
生物学的にも、そして、ジェンダーとしても。
ジェンダーにとらわれた考え方が窮屈だった私も、今は思う。
女であることを活かそう。女であることを楽しもう。女は女である。と。
それは私の考え方だし、誰かに押し付けることはできないけれど、そう思う。
そして、私もいつまでも、いくつになっても私は女だ。
死ぬまで「心の花」は持っていたいと思う。
そして、私が年を重ねたとき、きっと私は思うのだろう。
「我も賎しき埋木なれども 心の花のまだ有れば 手向になどかならざらん」

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