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ジャン・フィリップ・トゥーサン。
ジャン・フィリップ・父さん。
これまで(過去10年間)、幾度か書評を見たことがあって、いつか読もうと思っていた本。
"浴室"というタイトルなのだから、まさしく浴室で読むべきであるという勝手な義務感で、お風呂に入りながら読んだ。
週末の朝、ちょっと寝坊をして起き抜けのままお風呂に入るのが好きだ。
体を目覚めさせるためにちょっと熱めのお湯を張ることもあるし、ぬるめでじっくり入ることもある。
昨日と今日の2日間にわたり、お風呂de読書。
何がきっかけで「午後を浴室で過ごすことになった」のかは分からないのだけど、とにかく彼は浴室で引き込もるようになる。
浴槽に体を横たえるのは気持ちがいい。
あの自分の体を囲うようなバスタブは、小さい頃に机の下にもぐり感覚とか、家具と家具の間に入り込む感覚、押入れの中で遊ぶ感覚にわずかばかり似ているような気がする。
そう、自分しかいないという密室感。
そのせいかどうかは分からないけれど、彼はとにかく浴室で過ごす。
浴槽の中で思いをめぐらせて快適な時間を過ごすうちに、彼はそこで一日を過ごすようになる。
でも、彼はふと思った。
「危険を冒さなきゃだめなんだ、この抽象的な暮らしの平穏さを危険にさらして、その代わりに。」
と。
一度外へでた。
外国でも暮らしてみた。
でも、また浴室に戻ってくる。
やっぱり浴室にいるのが一番気分がいいと感じる。
そして、「目を閉じて静かに瞑想し、言い表す必要の全くない思考というものがもたらしてくれる驚異的なまでの正しさの印象」を味わう。
でも、やはりそんな生活は健康的ではないと感じて、再び
「危険を冒さなきゃだめなんだ、この抽象的な暮らしの平穏さを危険にさらして、その代わりに。」
と思い、浴室を出る。
平穏さの危険をさらして、その代わりに彼が得たものは何なのだろう。
とりとめのない日常?
他人とかかわって生きることのわずらわしさ?
何なのだろう。
冒頭に引用されたピタゴラスの定理。
直角三角形の斜辺の二乗は他の二辺の二乗の和に等しい。
浴室から出た彼の時間(抽象的な暮らしの平穏さを危険にさらした時間)は、直角三角形の斜辺。
その直角三角形の斜辺の二乗は、他の二辺(パリ)の二乗の和に等しいということなのだろうか。
彼が危険を冒してその代わりに得たものは、直角三角形の他の二辺の二乗の和に等しいぐらい価値があったものなのかもしれない。
よく分からなかった。
とても不思議。
でも、なんとなく余韻というか空気感が結構好きだな。
翻訳文だけど、読みやすいし。
日記を読んでいるみたいだ。
でも、恋人の額にダーツを投げちゃうのはいかがなものよ?
これってネタなの?ってぐらいの勢いで、若干引いたけど。
またいつか再読する必要がありそう。


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