
昨日で法務省での研修も終わり、時間に余裕があったので、アンリ・カルティエ=ブレッソン 「知られざる全貌」
をMOMATで見てきた。
しとしとと雨が降る中行ったMOMATは、平日の午後ということもあってすいていた。
以前きたときは長蛇の列だったのに。
アンリ・カルティエ=ブレッソン。
その名前は聴いたことがあって、なんとなく興味があった。
雑誌でも取り上げられててなんとなく行きたいと思った。
でも、急に行きたくなった。
その理由。
日経にちらりと出ていたブレッソン展のお知らせとある先生からいただいたポストカードがリンクしたから。

学生時代、政治学(特にフランス)の先生がフランスに滞在してらっしゃったときにポストカードをいただいたことがある。
ワンボトルを抱えて、嬉しそうに微笑む少年のポストカード。
その先生はとても生徒思いで、しかもダンディで身のこなしがスマート。
そんな先生からいただいたポストカードは、私が今までいただいたポストカードの中でも素敵ものとして覚えている。
大人って、こんな風にポストカードを送るんだって。
そのポストカードが、アンリ・カルティエ=ブレッソンだとわかったのがつい先日。
どうしても、どうしても見に行きたくなって、これ幸いだと思い、研修後に急いで見に行った。
解説で、キャパと同じマグナム・フォトにいたことを知ったけど、キャパとは違う。
もちろん、キャパもブレッソンもどちらも素晴らしいけれど、その方向性が明らかに違う気がした。
キャパは写真からジャーナリズムの魂を感じるけど、ブレッソンはジャーナリズムというよりはアートだ。
その構図は、アートそのもの。
まるで近代絵画をみているような感じ。
『sifonos,grece,1961』は、影と人の感じがなんとなくキリコの『街角の神秘と憂愁』を彷彿させる。
シュルレアリスムを感じる。(あくまで私の感性では)
と思っていたら、小さいころに絵画をやっていたということを知って、なるほどな、と思ったわけです。
「決定的な瞬間」
その場の空気、時間、人を切り取る写真の凄さと素晴らしさを実感した。
特に中国の蒋介石と毛沢東の時代の写真とドイツの冷戦時代の写真。
そのときの激動の時代感というのが伝わってきて、写真という存在に感動。
マティスやブラック、ピカソらのポートレートもあって、嬉しかった。
名前とその作品だけしか知らない芸術家が、一人の人間としてリアルに感じた。
日常のとりとめのない風景、瞬間も、切り取り方でアートに変わる。
写真ってものすごく面白いかもしれないと、うきうきして帰った一日だった。

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